Guinea, Sovereign, Shillings
Numismatics of the Great Britain, Ex-British territories,
Spain and Portugal and there colonies.

【C93新刊】 王と乙女の身代金 A5版 44頁(表紙込) 2017/12/31 初版 COMIC ZIN様にてお取扱中 とらのあな様にてお取扱中

ヴィクトリアン・コインエイジ VI A5版 58頁(表紙込) 2016/12/31 初版 とらのあな様にてお取扱中


2018.07.24 [更新] エドワード黒太子 ND(1363-64) ノーブル金貨

英仏百年戦争を語るうえで欠くことのできないエドワード黒太子はアキテーヌ公在位中に、フィリップ6世のパリ・ドールやライオン・ドールなど優美な初期の金貨を模した金貨が幾つか発行されました。剣を持った国王立像の足元には2頭のライオンがいます。銘文には「エドワード、英国王の長子・・・」を意味するラテン語が刻まれており、ボルドー地域や北西部の一帯を指した古名「ギュイエンヌ」の名前を冠したこのノーブル金貨 (あるいは、パヴィロン金貨とも呼ばれるようですが・・・とても「天幕」に見えません) は、第1期の Noble Guyennois a la Rose、第2期〜3期までの Noble Guyennois a la E に分類されています。
時期的にはポワティエの戦いで捕らえたジャン2世の身代金が定まった時期にあたり。通用価値はボルドー貨で25ソル (25 Sols Bordeaux) これはフランス王家発行の 20ソル・トゥルノワ (20 Sols tournois) と等価でした。発行時期により少しずつ軽くなりますが重量は1フラン金貨よりずっと重いことから、座像エキュ金貨の量目変遷に合わせているのではないかと考えていますが、それについては現在調査中です。また、裏面には通常左上に位置する百合紋章が本貨のようにライオンで始まったバラエティが存在します。

少なくともここ 20年ほど国内では 1度も現れていない希少品。英本国ではエドワード黒太子の貨幣発行はありませんので、収集しようとするならアキテーヌ領での発行貨を置いて他にありません。

Aquitaine, ND(1363-1364)
Noble Guyennios. 2nd Issue.

2018.07.17 [雑感] 最近更新できていませんが・・・

最近はグッタリしすぎて色々なものが滞ていますが、Webサイトのリニューアル作業と収集活動は続けています。

今月はフロアオークションが起て続けに開催され、大型貨を中心に滅多にお目にかかれない名品や試作貨などの希少品が盛りだくさんでした。空振りだった〜というアナタ、安心してください。月末にも CCF とオークションも控えてますよ。
当サイトでは国内では現れることなどないであろうと思っていた某貨があるのを知り、入念な下調べと下見をして事前入札。それを超えたら推定落札価格まで応札の準備をしていましたが、殆ど注目されていなかったようで無事?落札。某貨は収集の困難さに比例するかのように文献や資料も少ないので、知らないとあのスタート価格の高さでは応札しようという気にならなかったのかもしれません。全般的には以前に比べて全般的にスラブの数値が高ければ何でも良いという状態ではなくなり、印象が良いものでも注目されていないものは割と低めで落ちている印象でした。待望の品が出ている方にとっては予算が幾らあっても足りない悩ましい日々かと思いますが、あれこれ選んでいる時間も貨幣収集の醍醐味だと思います。

さて、次は同人誌について。当サイトでは希少で高額なものを除いたギニー金貨を国王別に収蔵しており、もうこれ以上のギニー金貨は簡単に集まらないだろうと考えて 「(仮題)英国金貨の世界」 として 40枚超のギニー金貨について国王別、極印別、磨耗状態別、既存の文献にない独自のバラエティ研究などを収録する同人誌を 2018年冬向けに制作中です。できれば全ページフルカラー。版型やページ数なども現時点で未定です。コレクション集としての側面もあるためソブリン金貨も収録してしまうかもしれませんが現時点では・・・。続報をお待ちください。

2018.06.03 [お知らせ] HTML5/CSS3 対応を順次開始。

新しい規格に対応させるのは造作ありませんが、規格に応じたユーザインタフェースをどうするか検討を続けてまいりましたが、つい先程「英国」のページを新しいユーザインタフェース対応画面に差し替えました。この際だから英語と日本語の両方に対応するメニューとして、現在は「Grate Britain/英国」だけ動作します。メニューにカーソルを乗せるとプルダウンするようにして、ポイントしているところはチョットだけ大きくしています。また、新しい画面はブラウザの表示サイズに合わせて横に自動的に整列するようにしました。画面いっぱいに広げると横の空間にも写真が廻り込みます。これで写真が増えても見やすくなったので画像を多数追加しました。ところがスマートフォンなどは縦にずらっと出てくるので、PC用の動きを併用させるか検討中です。
※iPhone搭載の Safari でプルダウンメニューを展開すると参照すると下がったまま自動的に戻らない動きがあるので回避できるか調査中です。

2018.05.27 [雑感] 18世紀の代用銅貨はなぜ FARTHING ではなく HALF HALFPENNY なのか?

18世紀に少額貨幣の払底から発行された英国の代用銅貨は、ウェールズ地方アングレシー島のパリーズ鉱山会社(Parys Mine Company)が発行した 1784年銘のイミテーションペニーとしての代用銅貨を嚆矢として、そこに刻まれたドルイド(Druid)の意匠すら模倣された代用貨もあり・・・そもそも「銅貨の模倣としての代用貨」をさらに模倣するという正直なところ訳が分かりません。その独特な意匠や図案の種類の全貌を知るには専門書の存在は欠かせませんが 18世紀末の代用貨をまとめた D&H には、前身となった文献があり 1789年刊行当時までの 20年間に発行された代用貨を網羅的にまとめた書籍が原本となっているため、D&H番号を知りたいのでなければそちらを参照しても同じでしょう。
インクランド北西部チェシャ―州マコルスフィールドのファージングサイズ代用銅貨は 4年銘。裏面は共通でいずれも採掘道具を手にした女性座像で、図案の配置からは銅貨に使われる女神座像が意識されていることが分かります。表面はマコルスフィールド出身の 「CHARLES ROE」 肖像が刻まれた 1790、1791、1972年銘があり、また 1789年銘は表面が肖像ではありません。不思議なことにファージング代用貨には FARTHING と刻まれたものと HALF HALFPENNY と刻まれた 2種類ありますが、これもパリーズ鉱山会社の「ドルイド」代用銅貨に HALF HALFPENNY と刻まれていたことに倣ったのでしょうか?気になります。

Macclesfield, 1790 Half-Halfpenny token.

2018.05.06 [御礼] コミティア124

毎年14時頃に欠品になるカタログは12時半に完売。いつも情報・評論島にある通路も時々通れない様子も見られました。5月初めにしては晴天で気温も高く、お出掛け日和だったせいもあるのか来場者はコミケと違って 0歳児からご高齢の方まで様々。昨年よりも多かった印象でした。
今回はコイントレーを置かなかったもののブースにお越しいただいた方の人数は例年とほぼ同じ、男女比もほぼ半々。同人誌は内容を確認いただいても、その場で即決される方は割と珍しいのですが「マンガだけかと思ってました」と声をかけてくださる方や、一括でお求めの方もいらしたり、以前にお見かけした方が新刊や既刊を手にされる場面だけでなかったことが印象的でした。手にされた同人誌を気に入っていただけていたら何よりです。厚く御礼申し上げます。

4、5年程前に「儲かるのか?どこで入手してるのか?」など色々と聞いてこられた方がいましたが・・・。今回も「古銭、金貨は儲かるんですか?」と聞かれる場面がありました。それも中国銭を・・・靴磨きの逸話を思い出しますね。どちらも話しだけ聞いて去って行かれましたが、当サイトとしては「過去のデータは、必ずしも未来を予測するものではない」 との立場を取っています。当サイトは一切関知しませんので自己責任でどうぞ。

2018.05.04 [雑感] 今年のTICCは粒ぞろいでした

初日は午後に会場着。事前に依頼していたブラン貨「Blanc aux Ecus」を受け取ると磨耗状態は VF+ でトーンも雰囲気の良い素晴らしい状態!百年戦争期間中にイングランド王ヘンリー6世が大陸側で発行した 10ドゥニエ・トゥルノワに相当するこの劣位銀貨は、状態の良くない現存品ばかりで金貨のサリュドールを EF で探すよりも難しいように思います。次に某所にて小箱を漁っているとルイ9世のドゥニエ銀貨、ササン朝ホスロー2世のこれまたトーンの雰囲気が良いドラクマ銀貨など、国内だけで集めようとしても現物を殆ど見かけないものばかりを何点か入手。
2日目は午後遅くに出向きセミナーのお手伝い。3日目は「あれ?その下の金貨見せていただけますか」と声をかけたら 2018年ソブリン金貨のロール出し!それも地金+αで!最近の高額さから手控えていた現代のソブリンを入手。やっぱり何もないと思わずに最後まで念入りに見るものですね。残り物には福がありました。

England/France Henri VI.
Blanc aux ecus.
2018 Sovereign.

2018.04.26 [雑感] 史跡「佐渡金山」と西三川の砂金

佐渡の路線バスを何度眺めても西三川と佐渡金山を1日で両方巡るには始発フェリーで移動する必要があるため、新宿から夜行高速バスを利用して 6:00 新潟港始発のフェリーで 8:30 に両津港到着。あらかじめ船内で購入しておいた 1dayパスで両津港から途中で路線バスを乗り継いで、西三川ゴールドパークを見学すると砂金や金箔、基盤の鍍金やボンディングワイヤーなど用途別展示のほか、何故かUBSインゴットに元文、文政、天保などの並小判と古銭の観点から珍しいものはなくスッと通り過ぎて砂金採りの体験へ。上級者コースは大雨による土砂崩れで利用不可だったのが残念でしたが、水槽を前にパンニングの説明を受けながら選鉱すると砂鉄の中にキラッとした粒が見えてきます。西三川砂金山から流れてくる自然金だけあって鉱脈から剥がれた形や砂礫にもまれて丸いもの、小石を巻き込んだものなど形状も大きさも様々。夢中になってじゃぶじゃぶしていると・・・あれ?終了時間は・・・次のバスに間に合わない!次はその 90分後( ^ω^)・・・体験を+2回延長しました。結果は計27粒。
そんなこんなで 11:57発のバスで相川支所 12:48着。案内所で地図をいただき急いで、いそ・・・いで・・・え?目の前に聳える100mほど不揃いな石段に圧倒されながら、旧街道の坂道で息を切らせながら早歩きで 30分後に到着。割戸を近くで見られる道遊坑を選んだところ坑道を抜けた先に、割戸までさらに登山orz ここで足を攣ったら夕方のフェリーに間に合わないため浮遊選鉱所を遠目にしつつ奉行所前を経由して 14:30 に到着。14:33発のバスに何とか間に合ったものの何かアクシデントがあったら頓挫するので、宗太夫抗や周辺地域を散策しながら最終フェリーにする方が良いでしょう。フェリー船内では貸し毛布でグッタリ寝ながら新潟港に到着。翌日は第四銀行「だいし金融資料館」を見学してから帰途につきました。シーズンを外して時間に余裕があるなら高速バスを使うのもお勧めです。

西三川の砂金
相川支所から旧街道の坂道と道遊の割戸

大久保長安の携わった鉱山を巡る旅も 5年前の石見銀山、今回の佐渡金山ときて残るは土肥金山なのですが・・・砂金採り体験が数年前に自然金から三菱マテリアル製の金粒を叩いて成形した砂金?なのでいまいち乗り気が・・・。時々パンニングの感覚を掴むために訪れている湯之奥金山資料館の砂金採り体験も田中貴金属製の人工砂金なので、西三川は自然金を使っているという点が大変満足度が高くて良い旅でした。単位時間あたりの収穫粒数は湯之奥に比べて 5〜6割くらいですが、今回の採取した砂金は比較的に粒が大きかったので容積的には同じくらいでした。お隣にいた団体さんは平均1〜3粒だったようでパンニングはぶっつけ本番でやるよりお目当てまでに何度か練習しておくと結果に差が出ます。

2018.04.19 [雑感] TICCを控えて目玉と言えるものが色々と

今週末のオークションカタログや TICCのリーフレットが届いて内容を見ていると非常に希少な英国貨幣がずらりとあって驚きます。
ヴィクトリア 5ポンド銀打ちなど国内で過去 15年間で 4枚しか出てませんので本来こんなに頻繁に出てくるものではありませんし、クロムウェル試作ブロード金貨が即売とオークションの違いはあれ 2枚も同時期に出たのは 2005年 SPINKオークションが最後だったと記憶しています。VF〜EF が平均的な磨耗状態のこの金貨にしては平均以上の状態で5年くらいの間隔で出てきていますが、今回のように複数出てくるのは珍しいでしょう。登場するたびに注目しています。

他にも高額品は準備不足で手が出ないものの、当サイトでは夢のコインと位置付けている幻の最難関品。あれが・・・その価格帯ですか。評価額が高いと手放そうとする方も増えてくるので希少品を見かける機会でもあるけれど、高額品なら猶のこと限られた予算の上限をどこに振り向けて臨むか大いに悩まれる方もいらっしゃることでしょう。手を出したいと思えるものが出てこない期間を経験していると、その悩みすらも貨幣収集の醍醐味として楽しむしかないわー。と思えるようになります。
当サイトも過去にタイミングが悪くてあれこれ逃しているものが多いので、本当に入手したいものはじっくりと時間をかけて楽しみながら準備を整えて臨みたいものです。

2018.04.10 [雑感] 過去10年間における同人誌頒布 2000部を突破

おかげさまで先日10年間の通算頒布数が 2000部を超えたことが分かりました。振り返ってみると割と好き勝手に書いている「貨幣収集と研究」の本にしては俄かに信じられない数が頒布されたものだと改めて思います。手にして下さった皆様に心より御礼申し上げます。

これまで手作業によるコピー誌を除いたオフセット製本誌12冊の印刷数は計2600部。「総集編」300部が欠品になり200部増刷していますが、この例外を除けば1冊あたりの印刷数も推測いただけるかと思います。これまでの実績を踏まえて 1刷あたり 2〜3年前後で欠品になるように決めています (そうでないものも幾つがありますが・・・)。会計的にも毎年の雑所得控除内に収まるように調整しながら頒布していますが、そんな心配はどこ吹く風。控除額を超える気配は微塵もありませんが、あまり気にせず趣味の延長としてのんびりマイペースで続けていければと思います。

到着したオークションカタログの内容を確認しながらビット候補を選んでいますが・・・TICC前ですよ?何ですかこの充実ぶりは!

2018.03.26 [更新] ロシア 1916年銘 15カペイク銀貨 ペトログラード製造貨と大阪造幣局製造貨

ロマノフ王朝の末期には本位銀貨のルーブルと同じ量目の 50、25カペイク銀貨は殆ど製造されなくなり、劣位銀の 15、10、5カペイク銀貨のうち 5カペイクを除いた 2額面が 1917年銘まで通用向けに供給されました。1916年銘の 15、10カペイク銀貨には双頭鷲の足元にあるべきミントマークが刻まれていないものがあり大阪造幣局で製造されたことを示しています。有名な貨幣なので割と知られていますが、綺麗な未使用貨を探そうとすると割と苦労します。
さて、今回は 15カペイク銀貨のペトログラード製造貨の未使用貨を入手することができ、大阪造幣局製造貨と並べたところ極印は全く同じであるものの、平金あるいは打刻用極印の平面部分に鑢目がみられ仕上げは若干ながら粗いようです。この頃のロシアの少額銀貨は 20カペイク銀貨などにも同じような仕上げのものが多いのですが、磨耗してくると鑢目は逆に消えてくるため状態を見るときのヒントになるかもしれません。

Russia 1916 BC, 15 Kopeks. struck at Petrograd.
Russia 1916, 15 Kopeks. struck at Osaka in Japan.

2018.03.12 [更新] ブラバント公国 ND(1375) ピエタ―金貨

ブラバント公国(現在のベルギーに位置する)ルーヴェンで鋳造されたピエタ―金貨にはヴェンセスラスとジョアンナの二人の名があり、両名が連らねて銘文に刻まれるようになるのは 1375年以降であることから鋳造年代が特定されています。現存品の写真を幾つか見てみると英国の打製金貨によく見られるような縁が削ら(クリッピングさ)れたものが割と少ない印象です。通用の実態をもう少し知りたいと思っていますが調べ方が良くないのか、この金貨に関する文献になかなか辿りつかず苦労しています。

Brabant, ND(1375) Pieter d'or.

2018.02.18 [更新] シャム王国/タイ王国 ラーマ4世 金の弾丸マネー 1/16バーツ

シャム、現在のタイは 1856年にヴィクトリア女王から人力の極印打刻機を贈与されるまで、このような前装式小銃の「弾丸」のような海鼠形に成形された地金を折り曲げた塊で通用しています。 金銀比価は 1:16 で重量単位 1ティカルまたはタイバーツ (Tical or Thai Baht) 約15.36-40g の銀に対して金は重量 1/16 ティカルまたはタイバーツに相当。ラーマ4世の時代ではチャクラと王冠のほかに 1/4 タイバーツ未満の少額貨にだけ王室が使う水差しの極印が使われています。 弾丸マネーは .890-.980 と純度にバラつきが大きく単純換算は難しいので間をとって .935 で計算すると、重量 1/16タイバーツの金なら英貨で約 29.4ペンス。 重量 1タイバーツの銀なら英貨で約 32.945ペンスという計算になり、金銀比価の差から 12%ほどの違いが見られます。お米で1.5粒くらいの小さな金粒でも、大型銀貨の半分くらいの価値がありました。

Siam/Thailand Rama IV. 1/16 bahts.
Enlarged x300

2018.01.28 [更新] ブハラ・アミールの金貨

元帝国の崩壊後に残った中央アジアの小国のうち、現在のウズベキスタンに位置するブハラを首都としたブハラ・アミール(Emirate of Bukhara)で発行された この金貨 (Tilla or Ashrafi) は、重さ 4.40〜4.60g前後、右側の面の下半分には「ブハラ鋳造 (Struck at Bukhara) 」と刻まれています。 文献によれば銀貨 (Tanga) で約 22枚に相当。フランス貨幣で 16フランに相当とされ、英国貨幣に換算すると 12シリング 9〜10ペンスに相当。 ダカット金貨(9シリング6ペンス)よりも重い金貨として認識されていたようです。

Emirate of Bukhara
1836(AH1252//1253) Tilla.

2018.01.01 [謹賀新年] 新年おめでとうございます。

昨年の記事を振り返ると「英国貨は何でも直近価格の数倍という高い状態から変化が見られ、以前ほどの困難さは解消されるが熱心に収集される方が対象とするものは高いままであろう」ということを書いています。概ね当たっていたのではないでしょうか、この数年は英国貨幣で収集対象とする年代のものは進捗なし。おそらく今年もその状態は続くのではないかと予想しています。
今年も揺らぎそうですが 「寄り道はほどほどに」 気長にコツコツとやっていければと思います。

さて昨年末の同人誌では英国から離れ、中世フランスを取り扱ったところ Twitter にて 「I〜III 総集編」 のとき以上の反響をいただき C93 でも 「こんな貨幣があるなんて知らなかった。見たこともない。」 と声をかけていただく場面もありました。現代風な機械打ち貨幣はいざ知らず。確かにこのような優雅で繊細な彫刻が施された打造貨幣が存在する事実を、あまりご存じないということが (だってほら、皆さんにお話を振ると 「あー、アレね。解るわかる。これはこうだよね・・・」 と返ってくるので) とても新鮮でした。そうそう、実際に収集されてない方の反応はこれが普通でした。この活動を始めた当初の気持ちを思い出しました。
次に何を制作しようか今からアレコレ考えていますが、まずは別件の原稿を完成させないと・・・。それでは、本年もよろしくお願いいたします。

2017.12.31 [御礼] コミックマーケット93

今年は雪のちらつく中、全開になったシャッター前は人が去った後で座る椅子の冷たいこと・・・。そんな中ブースにお立ち寄り下さり、同人誌を手にしてくださった方は昨年冬コミとほぼ同数。頒布数もほぼ同じでしたが、新刊 「王と乙女の身代金」 は 「I〜III 総集編」 のダブルスコアが出ていたので多めに持って行って正解でした。既刊をお持ちの方が続編や未入手のものを手にされるケースだけでなく、ふと足を止めて見本誌をパラパラめくった方が、心に刺さって手にされていく姿や続編を 「ここから、ここまで」 と一括で入手される様子を目にすると 「作って良かった」 と心から思います。制作した同人誌が何らかのお役に立つものであることを願っています。ブースへお越しいただきました皆様に厚く御礼申し上げます。

新刊で扱ったような打造金貨はご存じない方が多いようで、今回は色々とご質問される方が多かったように思います。ところが表紙を見るなり 「何でこんな希少なものがあるんですか!?」 と驚かれました。そうです、本当に中世フランスの金貨を収集して、その苦労を知らないとその希少性と状態の難しさを理解できないものなので正直驚いていただけると思ってました。本当に何でこれが国内にあるのでしょうね。

さて、今回はお隣にも貨幣についての同人誌を発行されたサークルがありました。その同人誌をパラパラめくると・・・えっ!?プレーンエッジのリングカラー付で極印を純銀の円形に打刻している写真があるじゃないですか!しかも、スクリュープレスしてる・・・「これ、万力を改造したものなんですか?」 凄すぎる。こんな夢のようなことを実際にやってのけ、その工程を同人誌にするとか。正直こういう方が現れるのを待ってました。次回作にも期待しています。

2017.12.27 [更新] 幸運の 1ペニー?

花嫁が幸せを祈念して 6ペンス銀貨を靴下に入れる習慣がありますが旧貨幣制度から十進法に代わって、6ペンスに相当する硬貨は直径が縮小された 5ペンス白銅貨ですが銀打ち貨幣は 1990年など幾つかの年号でプルーフ貨が造られただけでした。6ペンス銀貨の役割が何故ペニーの銀打ちに求められるようになったのか?その辺りはよく分かりませんが・・・近年発行される銀貨や銀打ちは、何故こんなに入手が難しいのか不可解です。

2008 ペニー銅被膜鉄貨(初年銘)
2008 Penny Copper plated steel.
First year.
2013 ペニー銀打ち(ジョージ王子誕生年)
2013 Penny struck in silver.
Anniversary Prince George.
2014 ペニー銀打ち
2014 Penny struck in silver.

2015 ペニー銀打ち(シャーロット王女誕生年)
2015 Penny struck in silver.
Anniversary Princess Charlot.

2017.12.26 [同人誌頒布] 王と乙女の身代金 〜 ヴァロア朝百年戦争期 フランス王家発行貨の通用価値 〜

先月の今頃、入稿データが仕上がる直前に入手できた希少な金貨を慌てて追加。その甲斐あって可能な限り状態を厳選していることもあり表紙がずいぶん賑やかになりました。 幾つか未入手で写真がないものもありますがなるべく基本は抑えて、今回も 「まだ世の中にないけど、こんな本が欲しい!」 を形にしました。お楽しみいただけましたら幸いです。

− 目次 −

・はじめに・第1章 中世フランス貨幣制度の概略: 中世フランスの基本的な貨幣単位/トゥール貨とパリ貨の交換比/貴金属品位/貨幣量目・第2章 中世フランスの打製貨幣: フランス王家の金貨/フランス王家の高額銀貨/ドゥニエ貨・第3章 ヴァロア朝の貨幣 (1): 座像エキュ金貨/国王騎馬像のフラン金貨/ジャン二世の身代金/国王立像のフラン金貨/周辺地域の金貨/白い低品位銀貨/コラム - 音色でわかる?銀純度の違い・第4章 ヴァロア朝の貨幣 (2): 王冠エキュ金貨/ジャンヌダルクの鎧の値段/ジャンヌダルクの身代金/コラム - やっぱり金貨は高級なイメージ?・おわりに・[参考] 中世フランスの打製貨幣 ルイ九世〜シャルル四世/[参考] 中世フランスの打製貨幣 フィリップ六世〜シャルル七世・奥付・

2017.12.17 [更新] シャルル6世 年銘なし(1417年) アニエルドール

フランス王家の発行貨は羊の足元に KF RX と刻まれ、半ムートンドールに良く似ている極印ですが羊の下の銘文がジャン2世 IOh REX と異なります。 英国側のヘンリー5世、6世の発行貨は HF RX となっているものの、これが極めて似た書体で判別が難しいので裏面の紋章が四つとも百合。あるいは、二つが獅子かどうかで区別する方が楽です。
シャルル6世以降は王冠エキュが主要な金貨だったようで、気のせいかも知れませんが他の金貨は意外に EF より良い状態はあまり見ていません。


備忘録 (Memo) ※駄文ばかりですが、加筆修正して後で確認に使うために残しておきます。

【外国コイン研究会の予定に関するメモ】 例会は偶数月第2土曜。参加資格は原則会員のみ。
非会員の方は、オブザーバ参加 (入会を希望される非会員が 1回のみ見学のために例会へ参加する制度) について研究会へメールにてお問い合わせをお願いいたします。

・ヤフオクにおける「モイドール金貨」記事の無断転載に対する措置について (2015.06.24)

ヤフオクの某出品物にて当サイトのモイドール金貨に関する説明文の無断転載であることを知り、先方に対して著作権および知的財産権の侵害の是正を要求。当該ページにて適切な措置と再発防止をお約束いただきましたので継続的に実施されることを条件に本件は解決としています。当サイトでは日頃より同人誌作製においても著作権や知的財産権を侵害しないように細心の注意を払っているだけに、他者に対しても厳格な姿勢で臨みます。ご注意ください。

当サイトでは過去に掲載した記事や同人誌はすべてのデータを保持しており無断転載かどうか検証できる体制を整えています。

・[ご案内] 外国コイン研究会 創立20周年記念写真集 (2014.04.11)

最初の貨幣といわれるリディア 1/3スタテル金貨、シラクサのデカドラクマ銀貨、アテネのドラクマ銀貨、アレクサンダー大王のスタテル金貨、プトレマイオス朝エジプトのオクタドラクマ金貨など古代世界の名だたる貨幣に始まり、帝政ローマ、古代インド、中世フランスとイギリスから英国貨幣の逸品へと続きます。ドイツ都市景観、神聖ローマ帝国、イタリア、スペイン、ポルトガルなどのヨーロッパ諸国から北米、中南米、オセアニア、アフリカ、アジア、それに日本。稀少な試作貨、贈呈貨のセットだけでなくテーマ別収集としての地域、国、額面別やミントの違いなども紹介しながら世界史や貨幣史に欠かせない貨幣が一堂に会した壮大な写真集と言えるでしょう。

【外国コイン研究会 創立20周年記念コレクション集】

仕様: B5版上製本の外函付きで表紙はフルカラーPP加工。本文口絵カラー48ページ+モノクロ153ページ。
発行: 450部。正会員・購読会員などの消費があるため一般頒布の提供は 250部限定。
総掲載数 637点。

・正会員は 1部のみ無償頒布。4月の例会参加者に先行配布済。
・購読会員 (あるいは正会員の追加希望) は研究会による有償頒布。
・非会員向けの一般頒布は外国コイン取扱い大手2社による委託取扱いがあります。

「創立20周年記念コレクション集」は予定数まで達して頒布終了。在庫はあっという間になくなったようです (2014.11.25追記)

・江戸時代に貿易で持ち込まれた外国貨幣「銀銭テカトン」 (2012.01.21)

「三貨図彙 附録巻之五」には、江戸時代に長崎・出島に持ち込まれた貿易決済用の貨幣が、種別毎、誰が、何年にどれくらいの量を持ち込んでいるか記されています。「花邊銀貨」「金銭トカアト」「銀銭テカトン」「銀銭ハロフテカトン」「銀銭ロヘイ」「銀銭咬※△ロヘイ」 (※は口留、△は口巴) 「銀銭スハンスマット」が外国銭。列挙された外国貨幣 7種のうち最後の 1つは図案もなく何を指すのか確信が持てていません。 (2012.04.15 改訂)
「銀銭テカトン」は当時オランダが使用していた貿易銀「デュカトン銀貨 (Netherland Ducaton) 」であることが分ります。「銀銭ハロフテカトン」はそのまま「ハーフデュカトン銀貨 (Netherland Half-Ducaton) 」のことです。しかし、模写には不正確ではあるものの明らかにデュカトン銀貨でないものが混ざっています。幕府側は貨幣種ごとに大別しながら掛け目で決済されています。これを踏まえると金銀地金に対して当時の人々の持っている価値感覚は非常に敏感で、現在を生きる我々が持っている貴金属に対する価値感覚とは遥かにズレがあるようです。

銀銭スハンスマットとは何か? 西洋銭譜、洋貨図録、古銭大鑑に記載なし (2015.10.30)

・日本の現行白銅貨は仕上がりの手法が変わったのか? (2011.09.24)

釣銭で未使用貨をいただくと何となく嬉しくなるものです。普段から同人誌頒布時に使おうと釣銭でいただく未使用貨があると取り分けていますが、最近の白銅貨は比較的新しい年号のものでも傷だらけのものを多く見るように思っていました。昔ながらの仕上がりであれば目立たない傷でも非常に残念な状態になってしまうようです。

プルーフライク状の仕上がりは未使用(UNC)のうちはキレイですが、極美品(EF)くらいになると傷が目立ちすぎるのが難点でしょう。どちらかと言えば傷が目立たない梨目地のほうが「通常貨」といった趣があって好みです。

最近になって平成15年銘 100円白銅貨でプルーフライク状のものを手にしました。白銅貨の未使用といえば今までは平金までザラザラした仕上がりのものだという認識しかありませんでしたが、手持ちの100円プルーフと比較しても遜色ないもので思わず「未使用貨ですか?」と聞いてしまったほどです。そこで取り分けあった平成15年銘〜平成22年銘まで 40枚ほどの 100円白銅貨と 50円白銅貨を確認してみると確かにマットな仕上がりのものは平成17年銘までしかありませんでした。平成17年くらいまでマットな仕上がりの通常貨とプルーフライク状の通常貨の両方があるようです。

・1860年の銅貨改鋳 (2011.09.19)

1860年12月18日のロンドンガゼット誌 (Gazette) に、前日に布告されたヴィクトリア女王の銅貨改鋳の記事があり、ペニー、ハーフペニー、ファージングが銅貨から青銅貨に変更されているため新貨幣の銘文、意匠、素材が銅・青銅・亜鉛の合金になったこと。ペニー青銅貨はペニーの価値、ハーフペニー青銅貨はハーフペニーの価値、ファージング青銅貨はファージングで変わらない単位通りの通用であると明記されています。

急に貨幣がひと廻り小さくなることに対して、これは混乱しなかったのか疑問に思っていましたが現在 (その当時) の素材価値を基準にして貨幣を製造したことにわざわざ言及して公示しているところが妙に納得してしまいます。

・外国コイン研究会に入会しました (2011.08.13)

・甲州一分判金 (2011.05.02)

戦国期の甲州金には謎に包まれていて元禄8年 (1695年) に金座人が「松木」のみとされる前と後で、「古甲金」と「新甲金」に区別されているようですが、裏面に (甲) 極印が加わる「甲安中金」からを「新甲金」と分類する見解もあるようです。どの極印のものが「古甲金」なのかいまいち判然としません。慶長幣制では一分判の重さが 1匁1分8厘 (約4.43g) なのに対して、甲州金の一分判の重さは 1匁 (3.75g) です。

「甲斐国志」 (明治44年 甲陽図書刊行会) を読んでみると、原書が編纂された当時 (1814年頃) には既に古物扱いであったようで、その当時の通用品は「甲重金」「甲定金」とされています。江戸に持ち込まれた各種の甲州金が品位鑑定されている様子があり、文字金 (元文小判) と「古甲金」「甲安中金」「甲安今吹」「甲重金」「甲安金」の交換比率が書かれています。その交換比からは「甲○金」の種類によってずいぶん差がありますが、貨幣博物館のパンフレットにある「甲安金」「甲重金」「甲定金」の金含有量から金量を計算してみると、その交換比率は一致していません。

「甲斐国志」「大日本貨幣史」「金銀図録」にある図から、一分判だけを大まかに分類してみると以下のようになります。

・古甲金 (表面に座人刻印はないと思われるもの) 年代が良く分からないもの、碁石金や玉金に見られる。

・石打金 (表面の刻印:吉 および 金)
・石打金 (表面の刻印:甲) 裏面は「国」の刻印がある。

・古甲金 (表面の座人刻印:松木・山下・野中・志村)

・石打金 (表面の座人刻印:山下) 裏面は「極」の刻印がある。
・石打金 (表面の座人刻印:野中) 裏面は「余」の刻印がある。
・石打金 (表面の座人刻印:志村) 裏面は「花菱」の刻印がある。
・石打金 (表面の座人刻印:松木) 裏面は「大桐」の刻印がある。
・石打金 (表面の座人刻印:松木) 裏面は「安」の刻印がある。
・石打金 (表面の座人刻印:松木) 裏面の「上」刻印は、蛭藻金などにも見られますが・・・。
・石打金? (表面の座人刻印:松木) 裏面は「花押」の刻印がある。

・石打金? (表面の座人刻印:松木) 裏面は平滑で無刻印。※「花押」「忠 花押」の摩滅の可能性も考えられる?
・石打金? (表面の座人刻印:松木) 裏面は「忠 花押」のいずれかの刻印がある。

・新甲金 (表面の座人刻印:松木のみ、裏面には (甲) の刻印がある)

・甲安中金 (表面の座人刻印:松木) 裏面の「安」が下にあるため貨幣カタログでは「背下安」と表記される。
・甲安今吹金 (表面の座人刻印:松木) 裏面の「安」が中央にあるため貨幣カタログでは「背中安」と表記される。
・甲重金 (表面の座人刻印:松木)
・甲定金 (表面の座人刻印:松木)

・「英国メイドの世界」の貨幣価値 (1840年代〜1910年代) (2010.11.27)

既刊の同人誌では統計情報からではなく「ヴィクトリアンサーヴァント」にある家事使用人の賃金や当時の Times 誌にある広告の物価などから、具体例をあげてその時代の人々が感じていたであろう貨幣価値の算出を試みています。年代別に考えると以下の値になるのではないでしょうか。

・1840/50年代 (英貨 1ポンド≒8万円) 1838年ヴィクトリア戴冠
・1860/70年代 (英貨 1ポンド≒8万円) 「倫敦国際万博」開催、1860年に銅貨→青銅貨
・1880/90年代 (英貨 1ポンド≒7万円) 「シャーロックホームズ」や「エマ」などの物語で描かれている時代
・1900/10年代 (英貨 1ポンド≒6.5万円) 1901年エドワード7世戴冠、1910年ジョージ5世戴冠、60年代比で約25%賃金上昇
・1920年代 (英貨 1ポンド≒2.4万円) 世界大戦の影響から激しいインフレ、借款を銀で返済するため 1920年に .925銀貨→.500銀貨

このような数値だけが一人歩きしてしまうと後で訳の分らないことになりますので 2009〜2010年現在における価値感覚であることに注意が必要です。今までネットなどで良くみられた英貨 1ペニー100円計算で 1ポンドが 2.4万円という値は、世界大戦後の価値感覚だけが一人歩きしていたのかもしれません。ヴィクトリアの時代は産業革命後にインフレが進行しているため一律して「1ポンドは幾らか?」との問いに答えることは難しいと思います。

・定説は疑ってかかるべきか? (2010.10.24〜10.29)

2年前のメモ「標準金の通貨換算および銀貨 (2008.08.10) 」を基に、金本位制度になる前後のシリング銀貨の銀含有量の差を算出すると 5%ほどの差があります。ここから謝礼としてギニーが使われる理由について、貨幣単位あたりの銀の減量から以前の銀をもらうためでは?とあまり根拠の薄い仮説を同人誌でも書いています。

厳密に言えば、17世紀末〜19世紀初頭までのギニー金貨とシリング銀貨がある時代は、ニュートンがギニー金貨の重量と価格を決定するまでは (銀貨を基準にギニー金貨は市場で価格が変わるため) 銀本位制度であり、1816年の金本位制度導入してソブリン金貨が登場するまで (あるいは、銀貨の決済額に上限が設けられるまで) は金銀複合本位制度でしょう。金本位制度下では、鋳潰される基準価格を考慮した素材量で貨幣が製造されていますので金銀比価そのものは市場価値と等価ではありません。

資料を参照しながら本当にそうなのか検証してみましょう。貨幣の貴金属含有量から算出した金銀比価は以下の通り。

・シリング銀貨=6.02g ≒1ペニーあたり 0.502g ほど。金銀比価では 1:15.07 ほど。
・シリング銀貨=5.6552g ≒1ペニーあたり 0.4713g ほど。金銀比価では 1:14.15 ほど。

上記の期間に相当する 1760年〜1829年までの70年間の金銀比価 (「Ratios of Gold and Silver, from 1760 to 1829.」 Numismatics Journal 1836, p266) を参照してみると、ジョージ3世のギニー金貨の発行終了する頃の 1800年までは概ね「金1: 銀14.51〜14.90」で推移しています。1809年までは「金1: 銀14.85」、1819年までは「金1: 銀15.41」ですがナポレオン戦争の頃の数年をみれば「金1: 銀16」を超えている年もみられます。

・・・少し奇妙ですね。参照した資料による純金・純銀の金銀比価と、貨幣含有量から算出した金銀比価は逆転しています。

前述の別表として記載されている 1760年〜1819年までの貴金属市場価格 (Numismatics Journal 「A Table of the Prices in the Market of Gold and Silver, from 1760 to 1819, exhibiting the relative prices of Gold and Silver to each other.」 Numismatics Journal 1836, p266) から、10年毎の 1トロイオンスあたりの標準銀価格をみると (ナポレオン戦争の時期を除いて) 概ね 5シリング6ペンス付近で推移しており、改鋳前の銀貨は標準銀 1トロイオンス≒ 5シリングに相当するため、銀の価値が英国貨に比べて約10%ほど高いことになります。ジョージ3世の時代に銀貨がほとんど製造されていない理由は市場価格の高騰によるものであることが資料からも読み取れます。

1816年の改鋳後の貨幣に使われた標準銀の重量から、1トロイオンスあたりの価格を計算すると約 5シリング6ペンスになります。資料には銀貨改鋳後の 1816年以降について市場価格が記載されてないのに平均価格だけ記述されており標準銀 1オンスあたりの平均市場価格は 5シリング5ペンス半とあります。18世紀半ばからの銀貨発行の経緯を抑えながら、銀の市場価格と貨幣に使われている銀の重量を付き合わせてみると、まるで銀貨は改鋳により市場価格との乖離を是正したようにみえていて「銀貨の銀使用量が減った」理由として符合します。

まさに英国からの銀の流出を止めようする目的を持って、1816年の改鋳をしている様子がありありと見えてきます。

1787年発行のジョージ3世シリング銀貨を「キングスシリング (King's shilling) 」として、1816年の改鋳後にジョージ3世、4世、ウィリアム4世で発行されたシリング銀貨とは明確に区別しているところが気になっています。一廻りも大きさの違っている銀貨の重さの変化に、当時の人々が気付かないはずはないと考えますが・・・。

さて、1816年の改鋳において金貨は「1トロイオンスあたり英貨 3ポンド17シリング10ペンス半」と定義されているということで、すっかりそれを信じていたわけですが・・・。貴金属市場価格 (Numismatics Journal 「A Table of the Prices in the Market of Gold and Silver, from 1760 to 1819, exhibiting the relative prices of Gold and Silver to each other.」 Numismatics Journal 1836, p266) から、10年毎の 1トロイオンスあたりの標準金価格をみると、標準金が定義された市場価格を維持していたのは 17世紀まで。1800年以降では、あれっ?概ね英貨 4ポンド4シリング???これだと 5%近くもの乖離があることになります。

どこか見覚えがある数値ですね。まるで 1816年の改鋳を境にして銀貨と金貨で市場価格との差を置き換えたかのようです。

経済学を専攻してないのでこれの意味するところを正確に汲み取ることはできませんが、英貨だけに注目すると対価を支払って標準金の地金を手にするよりも本位金貨を溶解してしまう方が有利に見えますね。「スペードギニー金貨」が発行していた 1799年までからナポレオン戦争当時のウェイリントン公爵が軍隊への給与支払いのための鋳造したという 1813年の「ミリタリーギニー金貨」のほかに 1ギニー金貨は作られなくなり、ソブリン金貨の製造までの金貨発行量を見てみると貴金属市場価格がいかに影響を与えているのかがみてとれます。

ギニーとポンドの支払手段の違いについて、改鋳前の 20シリングは改鋳後の 21シリングと銀の分量でおなじであることから貴金属市場価格という切り口から迫ってみましたが残念ながら手がかりは得られませんでした。当時を生きた人の手記などから探さないと難しいのかもしれませんね。機会があれば追跡レポートを載せたいと思います。

・偽造ハーフソブリン金貨の使われ方。 (2010.7.14)

1887年のヴィクトリア五十周年肖像 6ペンス銀貨は、裏面がガーター紋章のためハーフソブリン金貨に間違えやすかったようで、翌年には「SIX PENCE」の表記に戻されています。普通に考えればハーフソブリン金貨と"withdrawn type"6ペンスは間違えないように思いますが、調べみると釣銭詐欺に使われていたようです。ある条件下においてパブなどの店先でソブリン金貨で支払って、釣銭としてハーフソブリンを受け取ったら、偽物に掏り替えて差額を騙し取る手口に使われていたようで、激しく磨耗の進んだ 6ペンス銀貨も使われていたようです。その手口を読んでいると「時そば」を連想するほど巧妙であることがわかります。

・岩波文庫版 アーネスト・サトウ著 「一外交官のみた明治維新」にみる貨幣価値の感覚差。 (2010.01.17-20)

生麦事件などの賠償金、英貨 11万ポンドはメキシコドル (8レアル) 銀貨で支払われているようで 1枚あたり英貨 5シリング相当ですからざっと 44万枚。当時の運搬手段としては 2000枚入りの箱です。銀貨だけで 54.14kg にもなり (同時期に米国で使われた大型貨 2000枚入りの現金輸送用の鉄で補強された木箱は 12kg ほどなので) 箱の重を合わせると米 1俵 (60kg) を少しだけ超えた重さであったことでしょう。総重量は 12トンに相当することになるんですが、関税をスペイン (メキシコ) ドル銀貨で処理しているとしても横浜開港から数年のうちに一括決済するだけの銀貨が現物で日本にあったのでしょうか…。また、一分銀が 1シリング 4ペンス (1s.4d.) で計算されていて英貨 1ポンドが 15分 (3両3分) と「両」がもっと高額なイメージがあっただけに拍子抜けしてしまいます。文中では 10マイルあたりの荷を背負う人夫を 7人雇える価格なので決して安くはないのに著者が一分銀に対する金銭感覚は安いように扱われている気がして混乱します。

・ヴィクトリア若年像 2ポンド金貨の謎。 (2010.01.10)

ガゼット (The Gazette) からの抜粋として 1838年6月5日、ヴィクトリア女王の名において新しい貨幣の仕様が発表されています。5ポンド金貨、ダブルソブリン金貨、ソブリン金貨、ハーフソブリン金貨、クラウン銀貨、ハーフクラウン銀貨、シリング銀貨、6ペンス銀貨、グロート銀貨、モーンディマネー (4、3、2ペンス、1ペニー銀貨の4枚) 、ペニー銅貨、ハーフペニー銅貨、ファージング銅貨の 16種類。何より驚くのはダブルソブリン金貨 (Double sovereign; 現在では一般的に2ポンドの価値を持った金貨はダブルソブリンとは表現しないとされていますが、ここではそのように使われていることに注意) について、5ポンドの意匠に似たものとして言及されていますが、手持ちの資料では裏面のみの 1838年用の試作貨幣 (WR288; R7) としてソブリン金貨の裏面と同じ意匠のものだけしか確認できません。…じつは発表されているような 2ポンド貨が他にもあるのでしょうか?

・錫貨のプラグ (2009.05.31)

チャールズ2世からウィリアム3世までに発行されたハーフペニーやファージング錫貨には、貨幣の真ん中に銅素材が埋め込まれたように見えます。これは「プラグ」と呼ばれていますが、何故埋め込まれているのでしょうか?この時代のハーフペニー銅貨やファージング銅貨に使われた銅素材はスウェーデンからの輸入品なので、供給事情と関係が?「Peck」には銅素材の言及があるもののプラグに関しては何も書かれていません。

・「ハーフジョー」金貨とは? (2009.05.17)

ハーフジョーと呼ばれたポルトガル 6400レイス金貨は、同時代のスペイン 4エスクード金貨とほぼおなじ金の量で、アイルランドで輸入したモイドール金貨が使われていたように英国 (ウェールズ) においても通用していたようです。 (Loosse change, a guide to common coin and medals. National museums & galleries of wales, 1997. p23)
1784年ニューヨーク銀行の通用金貨の価値換算表によれば、金 1グレインあたり英貨 3ペンスに相当しておりダブルーン金貨 (Spanish doubloon) が 17ペニーウェイトに対してDouble Johannes が 18 ペニーウェイト。重さからジョアン 5世でのみ製造されたダブルーン金貨に相当する 12800レイス金貨だと特定できます。 (… in 1784 by the Bank of New York to regulate the value of gold coins in circulation.)

英語読みで ジョアン 5世あるいはジョセフ 1世の発行した金貨のどちらも Joe つまりジョーと略されることになりますが、一般的に 6400レイス金貨のことは Johaness とされる場合とハーフジョー (1/2 Joe) とふたつの記述が混在します。おそらくダブルーン金貨の半分から別名になったのではないでしょうか?ポルトガルではペカ (Peca) と呼ばれますので、正式名称や別名などがたくさんあると時代を経ると意味が誤解されて伝わっている様子が分ります。

・Numismatics を考えてみる (2009.04.08)

貨幣に関わる知識を整理してみると、以下のような分類ができるのではないでしょうか。

要件定義 試作開発 量産工程 使用保守 保管廃棄 その他
・貨幣制度
・金属純度
・額面
・直径

・重さ
・平金と縁
・表裏の向き
・意匠とバラエティ
・ラテン語と銘文
・彫刻師
・試作貨と贈呈貨
・手作業
・機械製造
・製造枚数
・重量調整痕
・流通貨
・磨耗度 (判定)

・加刻印
・回収溶解
・稀少度
・発行年号
・発行者 (血統と王朝)
・当時の価値 (生活文化)
・貨幣史 (経済史)
・再鋳貨と偽造貨

・銀食器の素材 (2008/10/28〜11/02)

硬貨の素材はわかるものの、銀鍍金 (プレート) の食器に使われている「ニッケルシルバー」が何なのか?正直なところ「洋白」「洋銀」「ホワイトメタル」の言葉が示す対象が曖昧すぎて整理がつきません。調べていて分るのは、例えば十円硬貨は「青銅貨」と言われますが合金比は青銅だけではないこと、英国の錫貨 (Tin coins) も錫合金かと思えば、錫が使われていないものもあったりしていることから「本質を表す名称が使われているとは限らない」と意識する必要を感じました。

さて、だいぶ本題から離れてしまいましたが「ニッケルシルバー」は何なのか?

おもに白銅 (ニッケル+銅) のことですが、ニッケル黄銅 (ニッケル+黄銅 (銅+亜鉛) ) も含む。

また、日本では十円洋銀貨がニッケルを回収するために未発行になっていますが含有比で考えてみるとニッケルを減らせて亜鉛に代替していることから、ニッケルの節約の為なんでしょうか?貨幣に使われている金属は、銅を中心とした合金が使われていますが別名や種類が多くて大変です。「銅 (Copper) 」「錫 (Tin) 」「亜鉛 (Zinc) 」「ニッケル (Nickel) 」など押さえておかないと確実に混乱します。

・青銅 (Bronze) : 銅 (Copper) と錫 (Tin) の合金。
・黄銅 (Brass) : 銅 (Copper) と亜鉛 (Zinc) の合金。つまり「真鍮」。
・白銅 (CuNi あるいは Cupronickel) :銅 (Copper) とニッケル (Nickel) の合金。
・ニッケル黄銅 (Nickel-Brass) : 白銅 (ニッケル+銅) のうちニッケルの割合を減らして亜鉛 (Zinc) が混ざる。
・白鑞 (Pewter) : 銅 (Copper) と鉛 (Lead) の合金。
・ホワイトメタル (Tin-Lead base) : 錫 (Tin) と鉛 (Lead) などの合金。銅 (Copper) が混ざる場合もある。

ヴィクトリア時代の英国でペニー・ハーフペニー・ファージングは、銅・青銅だけしか製造されていませんが、17世紀後半には、一部に錫貨 (Tin coin) が製造されていることがわかりますが、銅・青銅・錫貨の専門書「English copper, tin and bronze coins in the british museum 1558-1958」には「Pewter」とあります。あれ?錫貨じゃないの?ピューター (白鑞:しろめ) なの?と思えますが錫と鉛の合金なのでふしぎではありません。ヴィクトリアの時代にはさまざまな試作貨幣が作られていて良くみる素材「ホワイトメタル」は組合せが複雑ですね。

お金を工面するために売ろとしたピアノ。現代でも高価なものですが 20ギニーはします。少なくともその半額です。また、 (運送費を含まない) レンタル費用だけで毎月1ポンドほどでやりとりされますので並の家庭では持てません。そもそもピアノを弾けるということは教育を受けているわけで、これは生家がお金持ちであることを示唆していますが、どのくらいか試算してみます。年間家庭教師を雇うと住込みで 18ポンド〜20ギニーしますが、教材は別です。ピアノそのものですら家庭教師 (カヴァネス) としての年収。一般労働者の半年分にも匹敵します。所有して弾けるようになるためにはそれだけの経済力が必要でした。もしも売却していたら二人の収入では二度と手に入れることはできない。それほどの決意です。愛情あふれた思いやりを描いた場面ですが、激しく心を打たれる場面にみえました。

若干ネタバレっぽくてすいません。本をお持ちの方は価値を踏まえて読み返してみるとさらに楽しめるでしょう。

・コンウォール公爵に支払われた100枚のシリング銀貨とは?(2008.08.19)

Wikipedia を見ると 1973年に「one hundred silver shillings」を受取ったとあることがずっと気になっています。調べてみると「100 specially struck silver shillings」というのもあったり…これは何を示しているのか疑問だらけです。まず「Specially struck」ですが、地代を納める目的で特別にシリング貨を作成したのでしょうか?ただのプルーフか?1972年に旧クラウン貨サイズの25ペンス銀貨がたくさん作られていますが、シリング銀貨とは言えるものではありません。シリング銀貨を作成したのなら刻印は?銀純度は?興味がありますが手持ちの資料には手がかりありませんね…。

・銀食器と銀貨について (2008.08.16)

調べていると、バトラーやフットマンらが銀食器を鍵付き戸棚などで厳重に管理されていた様子が描かれており、とても貴重で大切にされていたことがわかりますが現代ではそれほどのものかと大きなギャップを感じてしまいます。田中貴金属などでは地金価格を基準に価格計算されるようで、スプーン 1本では数千円ほどでしょうか。食器としては高いもののブランド物やアンティークなどでもなければ手の届かないものでもないとも言えます。

18世紀末、銀貨不足解消のため主にスペイン 8レアルを輸入して加刻印を付けて流通させていますが、最初に使われた楕円形のジョージ3世像はゴールドスミスのホールマークと同じであることがわかります。

ちょっと乱暴ですが、これを踏まえて銀食器≒銀貨と考えてみることで価値を計算してみます。

仮に、スターリングシルバーのスプーンが 40g の重さなら 6シリング銀貨ほどに相当する地金価値になるので、ヴィクトリア時代 (50週 6日労働で計算すると) 工員で 2日分。ハウスメイドの年 8ポンドでは 11日分に相当。3ペンス銀貨が現代の千円札にあたるとすれば 2万4千円ほど (何だかハウスメイドの低賃金が際立ちます) 、スプーン 1本でそれくらいですから、他の銀器の価値はいかほどの物か…厳重に管理するはずです。
銀器のホールマークで「横向きライオン」は .925 ですが「ブリタニア座像」は .958 の純度を表します、モダンイシュー銀貨である 2ポンド (1oz) のブリタニア銀貨は .958 の純度。きっちりしてますね。

王室御用達の Mappin and Webb のサイトをみるとスターリングシルバーカトラリーセットで 4000ポンド〜。Mappin Plate という商標のプレート (鍍金) カトラリーセットで 1600ポンド〜、いずれも高級品です。

・標準金の通貨換算および銀貨 (2008.08.10)

純度の違いを区別するために、ここでは「標準金」「標準銀 (スターリングシルバー) 」と表記します。それぞれ「標準金」は 24分の22つまり 22K=純度91.67%の金。「標準銀」は純度92.5%の銀を意味しています。

・1トロイポンド (lb とは 12oz) =ギニー金貨44枚半。ペンス換算すると 1lb= 11214d。1ペニーあたり 0.0333g ほど。
・1トロイオンス (oz) = 3ポンド17シリング10ペンス半。ペンス換算すると934.5d。12倍すれば 12oz (1lb) =11214d。

18世紀初頭ギニー金貨の価値が21シリングに固定されてからは一貫してその価値が維持されていることがわかります。ところが、銀貨は 18世紀終盤にアジアとの金銀比価の差から銀貨不足に陥っていたためか今まで銀貨だったペニーが銅で作られるようになり、金本位制のためにシリング銀貨も改鋳された時には僅かながら銀貨が軽量化されています。

・シリング銀貨=6.02g ≒1ペニーあたり 0.502g ほど。金銀比価では 1:15.07 ほど。
・シリング銀貨=5.6552g ≒1ペニーあたり 0.4713g ほど。金銀比価では 1:14.15 ほど。

標準銀 1oz=約 62ペンス→ 66ペンスですから銀貨が 5%強ほど減価しているとも考えられます。そこで疑問…。シャーロックホームズなどヴィクトリア時代に書かれた本では紳士はポンドでなくギニーを使う場面が描かれていますね。そもそも何で「ギニー」「ポンド」を支払いの単位で使い分けるのでしょうか?謝礼の代わりだの諸説あるようですが、少なくともソブリン金貨が登場してからの話なのでしょう。銀貨の減価割合と近いのは意味があるのかもしれません。

・ヴィクトリア 3ペンス銀貨≒現代の千円札? (2008.07.21)

価値換算を調べていると 1ペニーを 200円で計算される方を多く見ますが、ちょっと視点を変えて考えてみることにします。資料を見ているとヴィクトリアの箇所だけ 3ペンス銀貨が一番広く使われた硬貨であることが書かれていることが妙に気になります。よく見る指標年収に、紳士階級 250ポンド〜、熟練工 50〜100ポンド、工員 20〜50ポンド、ハウスメイド 8ポンド〜 とあります。当時、四人家族で週 20シリングほどの収入ならば、贅沢はできないもののお茶や砂糖などある程度の嗜好品を手にしています。

・一般的な工員を 50週 6日労働と仮定すれば 18シリング/週。3シリング/日くらいになるはずです。45ポンド/年。
・作業員を指揮・監督する立場の熟練工では 36シリング/週。これも 6シリング/日くらいになります。90ポンド/年。

当時の資料は可処分所得で計算されていますから、45ポンド=10800ペンス (3ペンス銀貨 3600枚) を 360万円で考えると…税引き前に換算すると現代の 460万円くらいの年収に相当すると思われます。何だか身近に感じられるようになった気がします。

クリスタルパレス 1851年の入場料を当てはめると、月〜木:1シリング≒4000、金:半クラウン≒10000、土:半ギニー≒42000。これならば我々でもお芝居やコンサートの SS、S、A、B席などの区分によく似ていて身近に感じられるかも知れません。1ペニーの購買力は、コーヒー 1杯、パンとベーコンの食事など。これらは現在 330円あれば外食で似たようなことができますね。同じ額面でなら銀貨は、銅貨と違って重たくありませんから 3ペンス貨は現在の紙幣。それも千円札のように使い勝手がよく見えてきます。あくまで庶民感覚としてのことで、本物の紙幣であるバンクノートはお金持ちは使用しても庶民には縁遠いものだったのでは?

・ヴィクトリアの時代にギニー金貨は流通していたのか? (2008.06.22)

例えばシャーロックホームズを読んで、本当にギニー金貨がヴィクトリア時代にも流通していたのかと疑問でした。少なくとも生産終了から70年ほど経過しています。ところが現在の十円貨は昭和26年発行から55年は経過にも関わらず、今でも稀にギザ十が手に入ることがある事実に気づかされます。普通は旧五十円貨のように規格が変わると淘汰されたり、旧百円貨のように素材価値の変化でも市中から消えるものですが、価値が変わらなければいつまでも残るのかもしれません。


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